ああ、どうしようか。
机の陰からそっと顔を出して声がする方を覗けば、教室の出入り口の近くに男の子が二人。
後ろ姿でどこの寮の子かは分からないけれど、二人の髪が揃って薄暗い教室の中でも鮮やかな赤い毛だったから、彼らが双子のウィーズリーだと分かってしまった。
息をさらに潜め、抱えた鞄をぎゅうっと握り直す。
(こんなところで関わってたまるか。)
新学期が始まって一週間。
たったそれだけの間に私は、彼らの悪戯が全くもってほほえましいものではないことを痛感していた。
確かにクソ爆弾や鼻食いつきティーカップはユニークな悪戯道具だと思ったし、彼らの魔法の使い方には少しばかり興味を惹かれる部分もあった。(これをうっかり口に出したばかりに、レイラからお叱りを受けた。)
だが、それは悪戯の矛先が自分達以外に向かっていた場合だけだ。
彼らはその対象をスリザリン生に定めた時、獲物を見つけた肉食獣のごとく牙を向ける。そして、相手が泣いて逃げ帰るまで容赦なく追い詰めるのだ。
幸いなことに私は直接対象になったことはないけれど、被害を受けた寮生を見かけるたびに双子に対して嫌悪感が募っていった。
男相手ならまだしも、女の子泣かせるような悪戯とかあり得ないでしょ。
全身異臭まみれになって談話室に駆け込んできた上級生達を思い出して、ぐっとローブの中の杖を握る。
今なら、あの人達の仕返しをしてやれるかも。そう思っていくつか頭の中に呪文を浮かべて、すぐにやめた。
関わらない方がいいと数少ない友人が忠告してくれたのに、わざわざ自分から近づいていくこともない。
すみません、私は自分が一番可愛いのです。片手の数も話したことのない上級生のために体張れません。
そんなことより、今の問題はどうやってここから出て行くかだ。
次の授業は魔法呪文学で欠席は避けたいところ──なのだが、扉にたどり着くには双子の前に出て行くしかなく、小さく息を吐いて決断する。
授業は諦めよう。
そのうち出て行ってくれるだろう。それまではここに隠れているしかない。
とりあえず楽な姿勢に座り直そうと体を動かして、するりと鞄が腕の間から滑り落ちた。
──ドサッ
慌てて抱え直すよりも先に、鞄は静かな教室には十分な大きさをたてて落ちた。
読んで!空気を!
じわりと額や体に嫌な汗が浮かんできた。
いつの間にか二つの話し声は消えて、代わりにコツンコツンと足音がしてきた。
だんだんと近づいてくる足音に、心臓がばくばく激しく動いている。
見つかったらどうなる?捕まえられて、悪戯の実験台?それだけは嫌だ!!
最悪の事態を想像して、ぶんぶんと頭を振る。
私は残りの学生生活を平穏無事に過ごしたいの!!
それを叶えるためには、魔法でどうにかこの場を乗り切ってやる。っていうか、それしかもう方法がない。
汗ばむ手で杖を握り直し、意を決して通路へと飛び出す。
華麗にかけるのは全身金縛り術。
びったーんっ!!
大きな音とともに冷たくて固い床に顔からダイブした────私が。
え、なんで。じんじんと痛む鼻やらおでこやらに呆然とした。憎きウィーズリーに先制攻撃をされた──わけではない、ことをは知ってる。今、ローブの裾踏んだの。完璧に自分のせいだった。
「え、えーと……?」
事態が飲み込めていないようで、戸惑った声。気まずい沈黙に、床に倒れ込んだまま動けない。
このまま無視してくれないだろうか、見なかったふりをしてくれないだろうか。
念じたみたけれど相手には届かず「大丈夫かい?」と心配そうな声。できたら今はかけてほしくなかった。
……こうなったら最後の手段だ。
「君──」
「ごめんなさい!なにも聞いてないから!実験台にだけはしないで!見逃して!!」
相手がアクションを起こすよりも先に、立ち上がって目の前の男の子に頭を下げた。
え?スリザリン寮生のプライド?なにそれおいしいの?
ぱちり。近くにいた男の子が、驚いたように目を瞬かせる。
その後ろにいた片割れも呆気にとられていたようだったけど、私の姿に目を丸くした。ほぼ同じタイミングで、目の前の方も。
私のネクタイとローブの色を見ての反応だろう。
2対1。誰もいない空き教室。しかももうすぐ授業が始まる時間。
こんな好条件が揃った状況で、敵対するスリザリンの気弱そうな美少女を見逃すわけがない。私なら逃さないし、悪戯しまくる。
(杖は──持ってる!)魔法使いにとって一番大切なものを離さなかった自分をめいっぱい褒め、もう一度呪文をかけようと口を開く。
「ちょっと、君!」
それと同時にぐっと寄ってきた顔に、慌てて体を仰け反らせた。近い、近い!
焦る間に杖を持った手を捕まれてしまい、ああこれは終わったなと悟る。さらば、私の安穏スクールライフ。
「もうっ、煮るなり焼くなり好きに」
「おでこ、血が出ているよ!」
「へ?」
そう言うと急いでズボンのポケットを探り出した相手に、呆気にとられる。なんか予想してた展開……じゃない?
「……ほら、ジョージ」
「ああ、ありがとう。お前がハンカチ持ってるなんて珍しいな」
後ろからやってきたウィーズリーがくたびれたハンカチを相方に差し出した。
二人のやりとりから、今私の手を掴んでいるのがジョージ・ウィーズリーであると分かった。
「えーと…アグアメンティ」
杖先から申し訳程度にちょろちょろ出てきた水でハンカチを湿らせると、そのまま私の額に当ててきた。
突然のことに驚いたけど、ひんやりと冷たい感触に緊張が緩む。気持ちいぃ。
「突然飛び出してきたから驚いたよ」
「そんで派手にすっころんでるし。自分のローブ踏むとかっ……ははっ!」
その場面を思い出したのか、くっくっと笑いながら言葉を添えた後ろのウィーズリーにカッと頬が熱くなる。
「おい、フレッド」
咎めるような声にフレッドと呼ばれた男の子が、べぇっと舌を出す。
あ、こいつ嫌いだ。再度呪文をかけようかと思ったけど、まだ腕は捕まれたままで、しかもジョージ・ウィーズリーが目線を合わせてきたものだから口をつぐんだ。
「よし、血は止まったよ。でも腫れるかもしれないし、結構強く打ったみたいだから一応マダム・ポンフリーに見てもらいなよ。医務室の場所は分かる?」
「う、うん。分かるわ」
「それならいいや」ニカッと明るく笑われて、毒気を抜かれた気分になった。
なんだこの子、こんな笑顔もできるのか。双子を見かけたことはまだ数少ないけど、そのどの場面でも──特にスリザリンに対しては──相手を馬鹿にした笑いかとてつもなく意地の悪い顔しか見たことがなくて、目の前の人物が本当にあのウィーズリーなのか疑いたくなった。
「やばいぞジョージ!もう変身術が始まっちまう!そんなやつ放っておけよ、新入生だろうがスリザリンだぞ!」
おい、そんなやつってなんだ。ぶん殴るぞ。
残念ながらフレッド・ウィーズリーはそれよりも先にばたばた騒がしく部屋を出て行ってしまい、残されたジョージ・ウィーズリーは申し訳なさそうに私を見た。
「このハンカチ、捨てていいから」
「え?」
「それと。いくらスリザリンが嫌いな僕らでも、下級生の女の子相手に手は出さないよ。そこまで落ちちゃいないぜ」
最後にそう言うと、ジョージ・ウィーズリーは片割れを追って走り去った。
「……いや、同級生なんだけど」
初遭遇