空腹を訴える腹の虫に起こされてみれば、体の下には冷たい石の床。
(どこ、ここ)
ぼんやりしたまま上体を起こし、周りを見回す。テーブルが一つあるだけの部屋だ。
たしか私は、学年末試験が終わった後、連日の試験勉強(一夜漬けの悪あがき)による寝不足を解消するべく、寮に戻って昼寝をしていたはずなんだけど。
「熱っ!!?」
肌を嬲った熱に、瞬く間に頭が覚醒する。気がつけば、轟々と炎が燃え上がっていた。本当にどこなんだ、ここ!?
紫の炎と、黒の炎。2色の炎が、部屋の2箇所の入り口を塞ぐように燃えていた。理解不能な状況に混乱する頭を必死に動かす。
「……って、そうか。夢か」
導き出した答えに納得して、ぽんと手を叩く。だってほら、思いっきり頬を抓っても痛く────。
「痛いよ!!??」
「当たり前さ。だって現実だからね」
大声に対して返ってきた呆れ声に顔を上げたら、目の前にいつぞやぶりの"神様"がいた。
「で、でた……っ!」
「やあ、。久しぶりだね。ちなみにここは、セブルス・スネイプが罠を仕掛けた部屋だよ」
その言葉を聞いて思い出した。原作では、賢者の石を守るためにスネイプも魔法の罠を用意していた。
「……炎を通る薬を当てるやつ」
「正解」
神様を無視してテーブルの前まで行く。テーブルにはいくつか形の違う瓶が並んでいた。丸い瓶と一番小さな瓶は中身が空になっている。
「ハリー達がここに来たってこと……?」
「そうだよ。ついさっきハリー・ポッターはこの薬を飲んで先に進んだよ。だから君はこれをあげる」
神様を見れば、テーブル上と同じ小さな瓶を私に差し出していた。中には魔法の薬が入っている。
「サービスだよ。これで先に進めるでしょ」
「受け取り拒否していいですか」
サービス。知ってる。タダより怖いものはないんだってこと。
にこにこと読めない笑みの神様に視線を逸らす。とてつもなく嫌な予感しかしない。
「、なんで目を逸らすんだい?」
「何言ってるんですか?気のせいですよ」
言い張れ。しらばっくれてしまえ。
どうにかこの嫌な予感を回避する方法を考え出さなければ。
「君、契約のこと忘れたの?実に退屈な一年だったよ」
突然、ずいっと突き付けられたものに目を見開く。
一体何かと思ったけど、よく見ればそれはこの世界に来た日に書いた誓約書だった。
「僕を退屈させないこと。そう誓ったよね?」
憮然とした口調で言われて、そういえばそんなことを誓ったことを思い出す。そして宙に浮いていた紙を手に取り目を通してみたら、確かにそんな項目があった。そして紙面の一番下には私のサインがある。
「えーと、ごめんなさい?忘れてました」
ひとまず素直に謝ってみた。
「誠意がこもってない」
駄目出しされた。
諦めて何かしらの罰を与えられることを覚悟する。けれど神様ははぁーと深い溜め息を吐いただけだった。あれ?お咎めなし?
そんなことを思っていたら、呆れたような瞳と目が合った。初めて気がついたけど、神様の目は墨汁みたいに真っ黒だ。炎の灯りも吸い込む、底の見えない暗黒の瞳。
「。君、ちょっとお気楽過ぎるよ」
その目から視線を逸らせない私に、神様は冷たささえ感じる言葉を紡ぐ。
「……どういう意味?」
「この世界が、君が望む物語を紡ぐと、本当にそう思ってる?」
どくん。心臓が大きく拍動して、瞬く間に加速していく。
────なんで今、そんなことを。
燃え盛る黒い炎を見つめる。この炎の先で、ハリーはヴォルデモートと対峙している。
「余計な干渉をしないことで、今まで君の知っているストーリーが進んできたかもしれない。だけど、よくよく考えてご覧よ」
謳うように言葉を紡ぐ神に、どくんどくんと耳元で心臓の音が鳴り響く。
「この世界には最初から『君』という特大の異分子がいるんだよ。そんな君が干渉せずとも、物語のどこかで歪みは生まれているんじゃないのかな。例えば────今とか」
私が見ていたのと同じ場所を視線でなぞり、含みを持たせた言葉に、ぞくりと悪寒が走った。
「、これは親切心からの忠告だよ。君自身が行動を起こさないと、歪みはどんどん大きくなって、君の大好きなこの魔法の世界をきっと崩壊させてしまうよ」
そう言って、笑ってみせた神が与えてくるプレッシャーの大きさと言ったら。
──ほんとにこの神様はタチが悪い。
「崩壊させるのは、あなたなんじゃないの」
組分けの儀式でも、ハロウィーンでも、私の意に反した物語を描いたように。
言外にそんな意味を込めて問いかけてみても、神様の余裕な表情は1ミリたりとも揺らがない。
「さぁ、なんのことかな」
とぼけたような顔が腹立たしくて、握り締めて皺が寄った誓約書を神の胸元に強引に押し付け、小瓶を奪い取った。
物語に介入するのなんて嫌だ。嫌だけど、ハリーに何かある方がもっと嫌だから。
「私が動くんだから、手を出さないでよね!!」
そう怒鳴り睨みつければ、神様は満足そうに笑ったのだった。
────悔しい、悔しい!
黒い炎の前に立ち、小瓶を握り締める。
結局、この人の言葉に従うことになってしまうなんて。私は、傍観者の立場でいたかったのに!
けれど、ハリーにもしものことがあったら。そう考えたら、足を止めて引き返すなんて、そんな選択肢を選ぶことはできない。もう腹を括ろう。
(ハリーを助ける)
私が知っている展開から逸れないように、動かなければ。
ハリーが賢者の石を手に入れて、クィレルと対峙して、ヴォルデモートの復活を阻止する。そのストーリーを辿れるようにしなくては。
もしもそれと違う事態になるなら、もしもハリーの命が脅かされるなら────
「私が盾になればいい」
そのために得た不死の力だ。ハリー達のために使わなければ意味がない。
覚悟は決まった。息を吐いて、小瓶の中身を一気に飲み込む。
身震いするほどの冷たさが全身を流れていく。
「行ってらっしゃい」
楽しげなその声に盛大に舌打ちをし、早くこの場を去ろうとずんずんと炎の中へと踏み入った。
炎に包まれているというのにちっとも熱くない。足早に炎の中を進んで行く。炎を向こう側に出るまで、大して時間はかからなかった。
最後の部屋にいたのは、みぞの鏡の前に立ったハリーと、
「ヴォルデモートッ!!」
腹の底から、その名を叫んだ。
突然、怒号とともに現れた乱入者に、ターバンを外したクィレルもその横で硬直していたハリーも、目を見開いてこっちを見た。
「!?なんで君が!」
「私だって来たくなかったわよ!」
怒鳴り返して、ポケットから出した杖先をクィレルに向けて突きつける。
クィレルが後ろ向きにこちらを振り返る。その後頭部に浮かんだ邪悪な顔────ヴォルデモートと目が合った。
「なんだ、貴様は」
「ただのモブAなので、気にしなくて結構です。忘れてください。私はただ、あなたでは賢者の石は手に入らないので、校長先生がここに来る前に諦めた方が賢明だと、そう言いに来ただけなので」
私の言葉に、ギラギラと血走った目が大きく見開かれる。
「貴様……何を知っている」
「何も知りませんよ。──リディクト、粉々っ!!」
「!」
「ハリー、逃げて!」
みぞの鏡に魔法をぶつけ、クィレルが降り注ぐガラスに気を取られた隙にハリーに叫ぶ。ハリーの反応は早かった。一瞬で私の方に向かって走り出した。
「捕まえろ!」
ヴォルデモートの叫びに、クィレルがハリーに迫る。クィレルの手が、ハリーの首を捉える。咄嗟に駆け出していた。
「ハリー!!」
その指が首を回るより先に、ハリーに体当たりして突き飛ばした。
「貴様ァッ!邪魔をするなァッ!!」
空を掻いた手が、私の首へと標的を変えた。
逃げる暇なんてなかった。
指が喉に食い込む。
「がっ……かはっ!」
そのまま体が宙に浮いた。苦しい。息ができない。杖を持った手を振り上げて何か呪文を唱えようとしたけれど、酸素が足りなくて頭が回らない。視界が霞む。
「!」
ハリーの声がすぐ近くで聞こえた。目を開けば、私を殺さんとするクィレルの腕をハリーが掴もうとしていた。
「ハ……リ……!」
「を離せ!」
ハリーがクィレルの腕を掴んだ瞬間、絶叫が響き渡った。
突然首を絞める力が無くなり、床へと放り出された。涙目で咳き込みながら、苦痛の声を上げるクィレルを見上げる。
「っ!」
クィレルの腕から煙が上がっていた。クィレルが恐怖に慄く間にも、みるみるうちに皮膚がひび割れ、砂のように崩れていく。
「わ、私の手が!」
「殺せ!そいつを始末しろ!」
クィレルの惨状など一切気にも留めない容赦のない命令。その声を聞いて、先に動いたのはハリーだった。
クィレルめがけて両手を伸ばし、その顔を掴んだ。
「あああアアァッ!」
さっきとは比にならない大きな悲鳴が上がっても、ハリーは手を離さなかった。
ハリーを振り払い、クィレルがよろよろと後ずさる。顔だけでなく、全身から煙が上がる。割れた皮膚が、塵となりボロボロと崩れ落ちていく。
空気を裂くような悲鳴がだんだんと小さくなっていき、クィレルの体は瞬き一つの間に崩れ去った。
目の前で塵と化した人間に、手を下した張本人であるハリーは呆然と己の手を見つめている。起きたことを理解できずにいるような、そんな顔だった。
(見たくなかった……)
ハリーのまだ幼い顔を見つめながら、唇を噛む。
小説でも映画でも、平気だったのに。むしろハリーの健闘を祈り、応援し、生き残ったことを喜んだのに。
今はただ、目の当たりにした現実に胸が締め付けられていた。
(ハリーはまだ11歳なのに……)
自分の命を守るため、仕方のないことだった。避けられないストーリーだった。
(だけど、それでも。)
クィレルから離れたヴォルデモートが倒れたハリーを残して外へと逃げ去るのをただ見つめながら、ゆっくりと目を閉じる。
ストーリー通りに進めた。
ハリーの命を守れた。
ここに来て、物語に介入した意味はあった。
────それでも。
この場に来なければよかったと、後悔ばかりが胸に残っていた。
傍観者でいたかった