真実をあげる
今までに家の中をこれほど警戒心MAXで移動することがあっただろうか、いやない。(反語)
足音を立てないように部屋からリビングまで行き、壁の影から中を覗く。
すると、味噌汁を飲んでいた金髪がこっちを向き、青い瞳と目が合ってヒッと小さく声が洩れた。
けど、その目の持ち主は昨夜爆弾を投下していったレンではなかった。
「おはよう、グミ姉。遅かったね」
鈴のような可愛らしい声。無邪気な笑顔で挨拶をしてきたのは、妹のリンだった。
「お、おはよ。リンこそゆっくりだね。朝課外は?」
「休みだよ。今日、終業式だもん」
キッチンへと行き、冷蔵庫からミネラルウォーターを出してコップに注ぐ。一気に喉に流し込めば、滅入っていた気持ちが少し楽になった気がした。
もう一杯飲んでいる間に、リンは朝食を食べ終え両手を合わせた。
食器を流しへと運んでくるのを見ながら、あまり食欲がないことに思い至る。あれか、過度のストレスのせいか。
登校するリンを見送ろうと玄関まで着いて行く。
この制服姿を見られるのもあと3ヶ月かぁ…。ダッフルコートを着るリンを見て、ちょっと寂しい気持ちに浸っていたら、リンがこっちを振り返った。
「そういえばレンから伝言。12時には帰るから家にいろって」
レン。今、最も聞きたくなかった名前に、ぴしっと体が固まった。だけど黙ったままではリンに余計な心配をかけてしまうから、何とか声を絞り出す。
「え、あー…いや、うん。今日、サークルなの。悪いけど出かけるか、ら…」
そこまで言いかけて、不意にポケットに入れていたスマホがメール着信を告げた。慌てて取り出してみれば、差出人は――レン。
嫌な予感しかしない。
本文をタップするか悩みに悩んで、恐る恐るメールを開き、
『出かけたら犯す』
脅迫じゃん!!!
っていうか、すごいタイミングでメール来たよ!?見張ってる!!?
冷や汗をかいて、唇が引き攣らせた私に、リンが訝しげに小首を傾げる。
「グミ姉、出かけるの?」
「……ううん、やっぱいいです」
昨日と同じ。結局、私が辿り着ける場所は一つしかないらしい。
数時間後のことを想像したら頭痛がして、溜め息を吐く。
「大丈夫?風邪?」
「んーん、平気。心配してくれてありがと」
「当たり前じゃん!グミ姉は私の大切なお姉さんなんだから」
にっこり笑ったその顔はレンにそっくりで、でも欠片も黒さのない澄み切った純粋な笑顔に思わずリンを抱きしめた。
「ど、どうしたの!?」
「私の心のオアシスはリンだけだよっ!!」
「えぇ〜、なにそれ?」
きゃらきゃらと笑うリンの声が胸の奥まで響いて、無性に泣きたくなった。
リンを見送り、リビングのソファに凭れるように座る。疲労感がはんぱない。
本当ならベッドで休みたい――というか籠城したいんだけど、部屋にいたら昨夜のことを延々と思い出しそうだからやめにした。しばらくここで心身共に癒したい。
……サークルを休むこと、連絡しないと。
握ったままのスマホを操作して、サークルのグループを開く。
《ごめんなさい。今日のサークルは、体調不良で欠席します。》
それだけの短い文章にも関わらず、入力するのにだいぶ時間と労力を費やした気がする。
大きく息を吐いて、これでもう寝ていいだろうと瞼を下ろす。しかし、ピコンと鳴った音にスマホを見る。
画面の左から吹き出しが一つ。アイコンはナスのイラスト。どきん、と胸が鳴った。
《大丈夫か?無理せず休むように》
嬉しい、嬉しい。
10文字ちょっとのメッセージに胸と顔が熱くなる。
「がっくん先輩ぃ〜」
ぎゅっとスマホを胸に抱きしめて、ソファに横向きに倒れる。
ああ、もう本当に好きだ。こんなドキドキ、先輩でしか感じない。
目を閉じれば、先輩の姿がいくつも瞼の裏に浮かんで、幸せな――だけど少し切ない気持ちに浸りながら眠りに落ちた。
夢を見た。
今年の夏にサークルで海に行った時のこと。
浜辺をがっくん先輩と二人で歩いてる。夕日が海に反射してキラキラとロマンティックで今なら言えると意を決して顔を上げて――先輩は隣にいなかった。
慌てて辺りを見回せば、離れた岩場に先輩の姿を見つけた。
がっくん先輩。私、あなたが。
だけど、それは言葉にならなかった。
がっくん先輩の隣には、綺麗な女性がいた。――ルカ先輩。
濃密な空気を漂わせる二人に、無意識に後ずさって、
「きゃあっ!!?」
足がもつれて後ろに倒れて、――気づけば海の中。
息が苦しくて、必死に手足を動かしても全然体は上に行かなくて、
助けて――――!!
「あ、起きた」
ばっと目を開けば、視界いっぱいにレンの顔があった。
やけに頭がぼぅっとするのと、息が上がっていること。
疑問に思ったことはあったけど、それより何より目の前の狼に頭の中で大音量の警鐘が鳴り響いた。
ほとんど無意識に体を起こして、とにかくこの場から逃走しようとして、
「どこ行くんだよ?」
顔の両脇に伸びてきた腕に、意図も容易く逃走経路を封じられた。
数時間前と同じ、肉食獣みたいな目にひくりと喉が鳴る。
そのまま見つめていたら飲み込まれてしまいそうで、ぎゅっと目を瞑った。
――だけど、それは間違いだった。
がぶっ。
そんな擬音が聞こえそうなほど、乱暴に唇を塞がれた。
目を見開くのと、ざらりとした感覚が口の中に入ってくるのは同時で、抵抗しようとした手は力が足りなくて全然役に立たない。
リアルな濡れた音、鼻にかかった甘ったるい声。
聞きたくもない音が鼓膜を震わせて、下腹によくわからない重さが増していく。
酸素を与えてくれようとしない口づけに息苦しさはひどくなり、頭の中で同じような感覚を思い出す。
そう、これは夢の中で感じたもの。――って、寝込みを襲われかけてた!?
さあっと血の気が引いて、ありったけの力を掻き集めてレンの顔を押し返す。
レンは驚いたような顔をしたけど、それを見る余裕もなく酸素を身体の中に取り込む。
「や、やっぱりダメだよ!き、近親相姦だもんっ」
その声は震えてしまったけれど、それでもなんとかレンを止めようと精一杯の大きな声を出す。
これで考えを変えてくれるとは思ってないけど、少しくらい迷ってくれたら。
そんな欠片ばかりの希望を持って言ったのに、レンはきょとんとした顔で見返してきて、
「?何言ってんの?俺とグミ、血縁関係じゃないじゃん」
告げられた言葉は、全然理解できなかった。
血縁関係にない……?
私と、レンが?
「だってグミ、養女じゃんか」
……なにそれ、なにそれ。
嘘、だって私は鏡音の長女だよ。養女って、そんなこと。
アルワケナイ――とは言い切れなかった。
私だけ、家族の誰とも容姿が全然似てないこと。私の赤ん坊の時の写真がないこと。親戚の私を見る目が、双子に対するものとは違うこと。
少しだけ気になっていた。
その理由がこれ?
突然突きつけられた情報に呆然としていたら、レンがやけに柔らかく笑った。
「やっぱ知らなかったんだ」
「レンは……知ってたの?」
「小学生の時かな。父さん達が話してるのを盗み聞きしたんだ」
その時のことを思い出してでもいるのか、レンの表情が少し曇った。
この話、本当なのかな。本当なら、なんでこんな大事なこと忘れてたんだろう。それに、父さんも母さんもなんで教えてくれなかったの。
まだ情報の整理がつかなくて色々考えていたら、レンが「そうだ」と声を上げた。
「ついでにもう一つ教えてやるよ」
そう言ってくるレンの顔はさっきとは打って変わって怖いくらいに楽しげで、思わず身構える。
そんな私を見て、レンはにっこりと笑う。
「グミがオナニーの時にオカズにしてる先輩いるだろ?名前なんだっけ。――あ、がっくん先輩だ」
――心臓が止まったと思った。
だけど、すぐに心臓はばくばくとものすごい速さで鼓動を繰り返す。
なんで、なんで。どうして、レンがそのこと。
心臓はうるさいくらいに拍動しているのに、指先は凍ったように冷たく動かすことができない。
はくはくと、口を動かしても無駄に終わる様子を見て、レンはゆっくりと口を開く。
顔は笑ってるのに、青い目はちっとも笑ってなくて、それがとてつもなく怖くて。
「あの人、グミの実の兄貴だよ」
再び、レンが爆弾を投下して来た。
「実兄相手に欲情とか、俺よりイケナイことしてるよね」
つ、と頬を撫でられたのにそれに反応ができない。
なにそれ、嘘?本当?
信じられない。
信じたくない。
「!?グミ!?」
レンの声が背中を追って来たけど、気にする余裕なんて全くない。
レンとは他人で、先輩が私の兄。
一気に伝えられた情報が頭の中で渦巻いて、気持ち悪くて。
ただ転がるように外へ飛び出して、逃げるしかなかった。