はじめてをあげる
少しかさついた、だけど柔らかな感触。
そこから伝わってくるのは、私よりも少し低い熱。
それは紛れもなく他人が自分に触れているということで。
しかもその他人というのが、弟なわけで。
パニックを通り越した頭はやけに冷静に、できれば理解したくない現状を解析してくれた。
「グミの初めてもらった」
顔を離したレンが自分の唇に指で触れ、ひそりといやに艶美に笑う。
その笑顔に今更ながら心臓がばくばくと、健康に悪い速さで脈打ち始めた。
まずい、なんか吐きそう。
「ざ、残念だけど、ファーストキスじゃないし!」
「知ってる。中学の時のアイツだろ?」
また吐息が触れる距離まで顔を近づけてきたレンに、慌ててそんなことを口にした。
そうしたら、レンは表情を不機嫌なものに変えて、
「でも、身内とキスするのは初めてだろ」
「いやいや、父さんあたりがしてるでしょ…」
「ないよ。だって、俺が全部邪魔したもん」
にんまりと誇らしげに笑ったレンに、言葉を失う。
……なんでだろう。そんなわけない、と言い切ることができなかった。
「で、正真正銘こっちは初めてだよね?」
「は、うぇっ!?」
こっちってどっち。
新たに頭に浮かんだ疑問を口にする前に、レンの右手がハーフパンツの上から太腿の内側を触って、びくりと体が震えた。
「ちょちょ、ちょっ!それはマズイって!!」
「大丈夫、優しくするから」
全然、大丈夫じゃない!!
切実な思いで反論しようとしたのに、音になる前に唇を塞がれる。
またキスされた!!
顔をそらそうとしたけど、レンがそれを許してくれない。
しかも、触れただけだったさっきと違って、今度は角度を変えて何度も唇を押し付けてくる。
「っ、ふ…!んむぅっ」
息苦しくなってレンの目に訴えるけど、レンは意地悪く笑っただけで口を離そうとはしない。
無理っ!酸欠で死ぬ!!
酸素を取り込もうと口を開いて新鮮な息を吸い込んで、
「っ、ふぁっ…!ん…ちゅっ」
酸素と一緒に、生温かい舌が口の中に侵入してきた。
しまった、これが狙いか!
レンの策略に気づいて歯列をなぞる舌を追い出そうと、自分の舌で押す。
だけど、押し出すどころか簡単に舌を絡め取られて、レンの口の中に引っ張り込まれた。
慌てて逃げようとしたけど、それより先に甘噛みされて逃亡に失敗した。
「ぁう…っん、ん……っちゅ、く…ぁ…」
舌先を吸われ、裏側を舐められ、その度にゾクゾクと背筋が震える。
唾液が口の端から溢れ、顎を伝って落ちていく。
酸欠とパニックとよく分からない痺れが、思考能力と運動能力をどんどん奪っていく。
漸くレンが唇を離すと唾液が糸を引いて、ぷつりと途切れたそれがまた私の顎に落ちる。
「ふふっ、良い顔になってきた」
「っ、は…レン、っ」
「グミ、もっともっと可愛い顔見せて」
なんであんたは息一つ切らしてないのよ。
ぜえはあと肩で息をしながら、余裕の表情のレンを見上げる。
「経験値の違いってことか…」
レンと知らない女の子のギシアンな光景を思い浮かべて、小さく吐き出す。
「そんなことないよ。だって俺も初めてだよ?」
「はあ?なに言ってんの?」
「さっきのが俺のファーストキス。グミのために取っておいたんだ」
ファーストキス?数え切れないくらいの女の子を抱いてきたレンが?
冗談でしょと言おうとして、その前にレンの細い指が唇に触れて、慌てて口を閉じる。
「やっぱ、レモンの味なんてしないんだな」
ゆっくり唇を一周なぞりながら、レンはくすくすと愉しそうに笑う。
その笑顔にいつもの可愛い「弟」のレンが垣間見えて、レン、と名前を呼びたい衝動が唐突に口を突いて、
「グミが勘違いしてるみたいだから教えてあげるけど、俺がグミにあげる初めてだって、たくさんあるんだよ」
「え?」
はにかみながらそう言ったレンに、ぱちりと瞬きをする。
「さっきのキスもだし、処女を抱くのも初めて。それに二回以上抱くのも、中で出すのもグミが初めてだよ。ほら、こんなに俺の初めてあげるんだよ。嬉しいだろ?」
全然嬉しかないわ。
っていうか今、さらりと怖い発言を聞いた気がするんだけど。
二回とかな、中とか、聞き間違いだと信じたい。
…のだけど、どうしてもレンの言葉が有言実行される未来しか予想できなくて、さああっと顔から血の気が引いていく。
どうにかして回避しないとと焦りは募るばかりで、それなりに優秀だと思っていた頭もまともに思考をしてくれない。
「優しくしてやるから。その代わり、俺の体、ちゃんと覚えろよ」
声は優しいのに、真っ直ぐに視線を絡ませてくる瞳は獰猛な光を宿していて。
すっかり狼と成り果てたレンの前で、私は簡単に身動きが取れなくなった。
『男は狼なんだから、気をつけろよ』
不意に、まだ低くなる前の声が耳の奥で響く。
それは男というカテゴリから外したレンの言葉で。
なのに、弟のはずのレンは男で、しかも狼だったなんて!!
「夢なら覚めてよ…」
絞り出したような声は涙声。
鼻の奥がツンとして、掴まれた手首が痛くて、
「夢じゃないよ」
そんなの言われなくても分かってるよ、バカ!!
でも信じたくないんだよ!!
「グミ姉、ちょっといいー?」
再度、必死の抵抗を試みようとしていたらドアの外からリンの声が聞こえてきて、
「なにやってんの、2人とも」
返事をする前にドアが開けられた。
「り、リン…いや、あのこれは」
レンに組み敷かれたまま、正しい返答を探す。
助けを求める?でも、そんなこと言えば、レンにされたことを説明しなくちゃで。それによって家族に与えるであろう影響に口は止まる。
「あー分かった!プロレスごっこ!リンもやる!!」
そう言うや否や、リンはレンの上にダイブして、二人分の体重に変な声が出た。
「ちょ、重いっ……!」
「おい、リン!どけ!!」
「やーだー」
「ちょっとあんた達!何時だと思ってるの!!」
母さんの怒鳴り声に、ピタッと三人とも動きを止めた。
「双子は自分の部屋に戻って寝なさい!」
「え〜」
「分かったよ」
渋々といった感じにベッドから下りた二人を無言で見送る。
「じゃあね、グミ姉!おやすみー」
「あ、うん。おやすみ」
ぱたん、と閉まったドアを呆然と見つめること数秒。
「〜〜〜っ、あ、危なかったあああぁぁぁ」
長く長く息を吐いて、ベッドに倒れこんだ。
1時23分。
嵐のような一日はまだまだ始まったばかりだった。