魔法をかけられた魔法使い
舞台の袖へ消えていく段ボールでできたカボチャの馬車を笑顔で見送る。
内心には欠片も嬉しさなんて感じていないのに。
明かりの消えた舞台の上を、馬車とは反対側へと歩いて行く。
「グミ、お疲れ様。魔法使いの演技、すっごく上手かったよ!」
「ありがとう。ミクの方こそ意地悪お姉様、めちゃくちゃ迫力あったよ」
「えー、それあんま嬉しくない。私はシンデレラやりかったんだから」
「しょうがないよ、クジ引きだったし」
頬を膨らませて不満げに言うミクに苦笑いをする。
そして、明かりがついて華やかな音楽が流れ始めた舞台へと視線を向ける。
そこでは正装した数人の男女が優雅なダンスを踊っていた。
豪奢な椅子に座った、一際目立つ金髪のレンを中心に置いて。
レンにスポットライトが当たった瞬間、客席の方から黄色い声が飛んできた。
「レンって案外人気だよねぇ……」
その歓声に微かに眉を寄せれば、ミクが感心したように言うのが聞こえてきた。
「……そうだね。私にはレンのどこがいいのか理解できないや」
「同感ー」
嘆息とともにそう返して、呆れたように口元を形作る。
胸の奥がずきずきと痛みを訴えてくることは無視して、手の中のステッキをくるくると弄ぶ。
舞台には、反対側からドレスを身に纏った金髪のシンデレラが現れた。
緊張からか、表情が硬いシンデレラ。
周りの男女が隅へ退いて、舞台の中央にはシンデレラと王子だけが残された。
「そういえば、リンちゃんってレンの事好きなんだっけ?」
ダンスを踊り始めた二人を見ながら、ミクが何の気なしにそんな言葉を口にする。
その声が耳に届いた時、一瞬息が止まった。
「……そーみたいだね」
つっかえそうになりながらなんとか言葉を返す。
緊張が解れてきたのかリンは笑っていて、ここからは見えないけどレンもきっと笑ってるのだろう。
――今日、レンに告白する。
突然リンに告げられたのは、劇の待ち時間中のこと。
なんでと思った。だけどそれを聞く間もなく、リンは私の前から立ち去った。
二人の綺麗な金髪が、ライトに反射してキラキラと光る。
誰もが魅入っているその空間は、もうすぐ鳴る鐘の音に破られる。
だけど、ラストには彼等は結ばれるのだ。
劇の中でも、そしてきっと現実でも。
握りしめた暗色の服は舞台袖の闇に溶け込み、目映い光の中に立つ彼等とは到底相応しくないのだと思い知らされた。
「グミちゃん」
教室の喧噪から抜け出して、人気のない廊下を歩いていたら後ろから声をかけられた。
今は聞きたくなかった声に自然と体の動きは緩慢になって、ゆっくりと後ろを振り返る。
「……おつかれ、リン。主役が抜け出しちゃダメじゃん」
笑え、笑え。念じるように指示を出して、笑顔を取り繕う。
数メートル離れた場所で、リンは仁王立ちになって私を見ていた。
どうしたのかと問いかけても返答はせずに、ただ真っ直ぐな視線が私を射貫く。
開いた窓の外から聞こえてくる場違いなほどに明るい音楽が、沈黙の中に響いた。
「もうすぐ後夜祭が始まるよ。王子様がシンデレラを待ってるんじゃないの?」
沈黙を破ろうと茶化すように口を開けば、リンの頬にさっと朱が差した。
その反応に更にからかいを重ねようかと思ったと同時に、リンが大股で近づいてきた。
「リン?」
残り一歩ほどの距離まで歩み寄ってきたリンに、首を傾げる。
そうすると、不意にリンが大きく深呼吸をして、
「優しい魔法使いさんにお礼」
ずい、と拳を握った右手を前に出してきた。
突然のことに戸惑っていれば、リンが焦れたように私の左手を引っ張って、その上に右手を重ねた。
リンの手が離れた時、掌の上には「屋上」のタグが付いた鍵が乗っていた。
「これ……?」
「グミちゃん、どっかから後夜祭眺めるつもりだったんでしょ?」
リンの言葉は図星で、なんで知っているのかとさらに疑問が増える。
だけどそれを問いかけるより先に、リンは踵を返していた。
「ちょっと、リン!」
「せっかく職員室からパクって来たんだから、使ってよね!」
リンはそう言ったきり、振り返ることなく走り去っていった。
「屋上って、立ち入り禁止でしょ……」
手中の鍵にそう零した時、文化祭終了のアナウンスが被さってきた。
ぎぃと音を立てて、古びた扉を押し開ける。
空は群青色になっていて、足下に気をつけながら、歓声が聞こえてくる方へと歩いて行く。
手すりに手をついて眼下を見れば、校庭に積まれた丸太に丁度火がつけられたところで、鮮やかな赤色が瞬く間に燃え上がった。
それと同時にさっきよりも大きな歓声が上がって、随分と元気の良い男子生徒の声がスピーカーから響いた。
実行委員の人と思わしきその声が後夜祭開始の合図を出して、アップテンポの音楽が流れ始める。
「って、これ、ミクの声でしょ……」
聞き覚えのある声に目を凝らせば、炎の前にツインテールを揺らす姿を捕らえて、思わず苦笑する。
いつもカラオケで歌うミクの十八番のその歌は、相変わらず羨むことが無駄に思うくらい上手い。
声から楽しそうに歌ってるのが伝わってきて、自然と頬が緩んだ。
手すりに肘をつき、その上に顎を乗せて明るい空間を眺め、
唐突に、舞台の光景が脳裏に蘇った。
急激に心拍数が増して、どくどくと耳の奥に鼓動の音が鳴り響く。
舞台袖から見た光景が鮮明に再生される。
スポットライト、金髪、ドレス、鐘の音、硝子の靴、──────そして祝福の中で見つめ合う二人の笑顔。
最後まで思い出して、奥歯を噛み締める。
そうしないと、押し殺してきた気持ちが音になってしまいそうだった。
手すりを握ったままその場に屈み込んで、胸の辺りを掴む。
嗚咽が漏れそうになるのを押し留めようとすれば、視界が滲んできた。
手すりを掴む手は力を失って、だらんとコンクリートの地面の上に落ちた。
膝頭に瞼を押し当てて、溢れそうになる気持ちを必死に堪える。
スピーカーから流れてくる明るさとはかけ離れた気持ちを抱いて、暗い屋上でただ一人。
「グミ?」
一人、だと思っていた。
背中にかかった声に信じられない思いで顔を上げ、後ろを振り返り、
「レ……ン……?」
私を見てくるレンの姿に、目を瞠った。
「なんで……なんでレンがここにいるの……」
近づいてくるレンに、無意識に思い浮かんだ事を口のする。
「お前が教室に帰ってこないから探してたら、リンが屋上にいるって教えてくれて……どうやってここの鍵手に入れたんだよ?」
すぐ目の前まで来て、レンが私と目線を合わせるようにコンクリートの上に膝をつく。
炎の明るさで分かったレンの表情はふて腐れたもので、探したんだからなと言う口調にも同じような感情が込められていた。
「ってか、しゃがみ込んでどうしたんだよ。腹でも痛い……」
「……んで?」
「え?なに?」
「なんで、ここにいるの?なんで、リンと一緒じゃないの!?なんで、なんでっ……」
レンのシャツを掴んで、胸の中で渦巻く感情のままに何度もなんでと繰り返す。
当然レンは困惑の声を上げたけど、それに気を配ってられるような余裕が私には残ってなかった。
「なんで諦めさせてくれないの?もう、私には好きになってもらえる可能性なんて無いのに……!」
今まで押し殺して隠して気持ちが、心の器を壊して溢れ出す。
何を言ってもレンを困らせるだけだと分かっているのに、止める術など無かった。
胸が締めつけられて堪らなく苦しくて、その痛みが無くなれと強く願いながらレンを責める言葉を口にして。
「グミ、好きな奴いるのか?」
その声とともに、肩に置かれた手に力が入る。
痛みを感じるほどの強い力に口が止まって、少しだけ周りを見る余裕ができた。
至近距離にあるレンの表情は怖いほどに真剣で、思わず体が強張る。
「レン……肩痛い」
声が震えそうになりながらそれを言えば、レンははっと我に返って慌てて手の力を抜いた。
「ご、ごめんっ」
そして謝罪を口にすると、気まずそうに顔を背けた。
だけど肩に乗った手はそのままで、シャツ越しに私以上に高い体温が伝わってくる。
その体温が心地よくて、このまま時が止まればいいのにと思って、すぐにその思いをかき消す。
王子様はシンデレラに返してあげなければ。
だって私は魔法使いで、シンデレラを幸せにしてあげる役でしかないのだから。
レンの手に自分の手を重ねると、レンの目が私を見た。
赤い光が青い瞳を不安定に揺らして、一緒に私の決意まで揺らぎそうになる。
「……私の好きだった人はね」
強く目を瞑ってその揺らぎを押さえ、静かに言葉を紡ぐ。
レンが息を潜めて言葉の続きを待っているのを感じ取りながら、すぅと息を吸い込んで、
「レンだよ。私は君が好き。ずっと好きだったよ」
レンの目を見据えて、押し殺してひた隠しにしてきた想いを告げる。
大きく見開かれたレンの目は、炎の明かりなんて関係なく揺れていた。
ごめん、グミ。俺、リンと付き合ってるんだ。だから気持ちは嬉しいけど、付き合えない。本当にごめん。
動揺が薄らいだ時、レンが口にするであろう言葉が容易に想像できる。
だからなのか、私の心は驚くくらいに静かだった。
しかしだからこそ、腕を引かれて体を抱きしめられた時、すぐに反応をする事ができなかった。
耳の横にレンの唇があって、レンが呼吸をする度に吐息が耳朶を擽った。
抱きしめられていると分かったのはその時で、理解した途端に体が熱を帯びた。
「レッ……あんた、何して……!!?は、離してよ!」
「嫌だ」
言葉での訴えは一蹴されて、腕の中から抜け出そうとしてもいとも簡単に押さえ込まれる。
「好きだったってなに?」
レンの声があまりにも近い位置で鼓膜を揺らして、こんな状況だっていうのにびくっと体が震えた。
グミ、と名前を呼ぶ声が頭の中を埋め尽くして、まともな思考が削られていく。
「なぁ、好きだったなのか?お前の気持ちはもう俺に向いてないのかよ?」
背中に回った腕に力を込めながら、レンが固い声で問いかけてくる。
胸板に押しつけられた頬で、どくどくとレンの鼓動が感じ取れた。
普通よりも速い、今の私と同じくらいの速さの鼓動。
「……だってレンは、リンと付き合ってるんでしょ」
するりと口をついて出た言葉に、レンの肩が微かに震えた。
「それなら、もうこんな気持ちを持っていても無駄でしょ?」
あぁ、やっぱり。そう思いながら、淡々とレンの問いに対する答えを口にしていく。
そうすればレンはきっと離してくれて、そして私もこの気持ちを捨て去ることができるような気がしたから。
その予想の通りに、すぐに体を締めつける腕の力が緩んだ。
良かったと安堵の息を吐き出そうとした時、こつんと肩口にレンの額が乗っかった。
今度は何かと身構えるのと、レンがおかしそうにくつくつと笑い出したのはほとんど同時だった。
戸惑う私を置いて、レンは笑い声を上げる。
「ははっ、案外グミって馬鹿なんだな」
突然馬鹿にされて、私の頭の中には疑問符が増殖する。
「それ、どういう……」
「劇の後、リンに告白されたよ。断ったけど」
「……ことわっ、た?」
笑いを消して、顔を上げたレンがあっさりと言う。
だけど、あまりにも普段と変わらない口調で言われたその内容は、私の心をさらに乱すには十分な効力を持っていた。
「断ったよ。俺、他に好きな奴がいるからって」
そして、追い打ちのように衝撃の言葉を告げてくる。
リンはフラれた?じゃあ、なんでさっきそう言ってくれなかったの。っていうか私、リンに酷い事を言ったんじゃ。
射貫くように真っ直ぐに向けられていた視線を思い出して、ぐるぐると思考が渦巻く。
「俺の好きな奴、気になる?」
そんな中にレンの問いかけが聞こえてきて、乱れた思考が止まる。
息すらも止まってしまって、ただ目の前の碧眼を見つめる。
スピーカーからはまたミクの声が聞こえてきているはずなのに、二つの耳は外界からの音を拾おうとはしない。
ただ聞こえるのは、自分の心臓が鼓動する音だけ。
「誰……なの?」
あの時、無配慮な発言がリンを傷つけたかもしれないのに。
それを危惧する気持ちは隅へ追いやられて、私は代わりに頭を支配した問いを口にする。
呟くようなそれに、レンはひどく優しい表情で笑って、
「グミだよ。俺はお前が好き。これからもずっと好きだ」
その唇が紡いだ言葉に、心臓の音すらも聞こえなくなった。
何かの冗談だと思った。だって、私にリンより勝るような要素があるとは思えなくて。
「言っておくけど、冗談じゃないからな。あと、なんで私なんかを好きなのかとか聞いてきたら怒るから」
だけどその思考はレンに先読みされて、音になる事はなかった。
「グミの考えなんてすぐ分かるっての。ずっとグミだけ見てきてたんだから」
したり顔で笑うレンの頬が赤いのは、多分炎の明かりのせいだけではない。
息を吸い込めば、私の聴覚に心臓の鼓動も軽快な音楽も戻ってきた。
「で、返事は?ちなみにノーは受け付けないけど」
腕を解いて体を離したレンが、その言葉とともに片手を差し出してくる。
まるでシンデレラをダンスに誘う王子のように。
「私はシンデレラじゃないんだよ……?」
「別に、硝子の靴が合うのはシンデレラだけじゃないだろ?」
震える声で言った問いかけに、レンは何の迷いもなく言い切る。
華やかな舞台の上でもない。スポットライトなんて当たってない。
明かりといえば空の月と星だけの暗い屋上。
だけど、そこにレンは来てくれた。
体の横に垂れた腕に力を入れて、ゆっくりと手を伸ばす。
指先がレンの掌に触れて、躊躇する間もなく、強い力で捕らえられた。
校庭に響いていたミクの歌は終わっていて、代わりに男子生徒の声が聞こえてきていた。
それに被さるようにスピーカーから流れ始めたのはフォークダンスの曲。
ぐいっと腕を引かれて無理矢理立たされて、少し上を見ればにやりとした心底満足げなレンの笑み。
「踊ろうぜ」
そう言うや否やレンは返事も待たずに動き出して、私もそれに合わせてステップを踏む。
楽団も観客もいない、たった二人だけの舞踏会。
代わる相手なんていなくて、何度も同じ動きを繰り返し踊る。
「好きだよ」
音楽が終わるのを聞きながら告げれば、お辞儀をしたレンが驚いた様に顔を上げた。
「私はレンが好き。今までもこれからも、ずっとずっとレンが好き」
レンのセリフを真似してそう告げて、今日初めて心からの笑顔を浮かべる。
校庭からの赤い炎はいつの間にかその勢いを衰えさせて、周囲は夜闇に沈んでいた。
腰に添えられた腕が体を引き寄せられて、直ぐ間近にレンの碧眼が映る。
静寂の中で、レンの息遣いがやけに大きく聞こえてきた。
徐々にレンとの距離が縮まって、そっと瞼を下ろす。
それまで以上に暗い闇が視界を覆った。
だけど、触れた唇からレンの熱が伝わってきて、より強くレンの存在を感じる。
「俺だって、ずっとグミを好きだから」
頭上で鳴り響いた破裂音と、それに続いた爆発的な歓声。
まるで祝福されているようだと感じながら、甘い口づけに目を閉じた。