ただいまと、
(……なんで……)
現在時刻、午前七時。
現在地、ハナダジムの前。
ジムを開ける前に一泳ぎしようと訪れたジムの自動ドアの前で、何故このジムの主であるはずの私が立ち尽くしているのか。
フリーズ寸前の頭で考える私の視線の先、自動ドアの前に答えはいた。
記憶の片隅に残っている、見たことのある服と閉じた瞼の上に影を作る帽子。
そして、その腕の中で主人と同じように眠っている電気鼠。
そこには、自動ドアに背を預けて爆睡するレッドがいた。
──寝ぼけてるのかしら。
働きが鈍ったまま頭でそう考え、右手を上げて頬を抓る。結果、痛みを訴えた頬に自分の見ているものが夢ではないことを突きつけられた。
「ん……」
「っ!?」
不意にレッドが発した声に体を強張らせ、しかしそれ以上は何の動きもしない彼に詰めていた息を吐き出す。
そして恐る恐る足を進めてレッドとの距離を縮め、一歩手前で膝を折る。
「……随分気持ち良さそうね」
穏やかな寝息を立てるレッドに呆れの感情が沸き上がり、その感情を多大に含ませた言葉を零す。
そんな私の気持ちなど到底知るはずのないレッドは相変わらず夢の中で、その様子に無意識の内に張り詰めていた糸が緩み、顔を俯けて深く息を吐き出す。
そして肺の中の空気を全部吐き出したんじゃないないかと思った頃、やけに重く感じる顔を上げ、改めて視界に入れたレッドの姿に黙り込む。
記憶の中の姿よりも随分成長した身体。
今は眠っているけれど、その表情もどこか大人びていて────。
どくりと大きく鼓動した心臓を服の上から押さえ、大きく息を吸い込む。
──最後に会ってから、二年。
その時間の長さを表すのは、たったなのか、もうなのか。
「…………レッド」
長い長い沈黙の後、久しぶりに音にした名前はすぐに空気に溶け込む。
「……の馬鹿。馬鹿レッド。勝手にいなくなってみんなに心配かけて、しかも今まで一回も連絡してこないとかほんとに何なの。なのに何でこんなとこにいるのよ、あんたシロガネ山に居たんじゃないの。っていうか帰ってくるなら連絡の一つもしなさいよ」
頭に浮かんだ、全然纏まりのないことを次々に捲し立てる。
言い終わってから肩で息をして、言葉の羅列にも一向に起きる気配のないレッドを見つめ、きゅっと口を結ぶ。
「────おかえり」
そして、小さく言葉を紡ぐ。
目尻に浮かんできた涙を拭おうと手を持ち上げる。
「何で泣いてるの?」
不意に耳に届いた記憶に残るものより幾分低い声に目を見開き、潤んだ視界の中で私を見る黒い二つの目に息を呑む。
「っっ、れれれレッド!!?」
「うん。久しぶり、カスミ」
「久しぶりって……あんたねえっ」
慌てふためく私とは反対に、レッドはいたって冷静に再会の言葉を紡ぐ。
そんなレッドの態度に慌てる自分が恥ずかしく思えて、頬が熱を帯びるのを感じながらやや強めに声を上げる。
その声に少しだけ目を大きくしたレッドから自分の靴先へと視線を落とす。
「……心配かけてごめん」
「し、心配なんてしてないわよ、馬鹿っ!」
レッドの言葉に吃りながら嘘を怒鳴り返し、熱を持ちはじめた目頭に唇を噛む。
「カスミ」
鼓膜を揺らした微笑混じりの声に、膝の上に置いた手を強く握り締めて顔を上げる。
「……なによ」
熱さを増す瞳でレッドを睨みつけそう吐き出すと、レッドは口角を上げて微かに笑った。
不意打ちの笑顔に言おうとした言葉はどこかに吹っ飛び、それでも何か言い返そうと口を開き、しかし口から出たのは情けない嗚咽だけだった。
次々に溢れ出す涙でぼやけた視界の中で、レッドが眉を下げて困ったように笑う。
「っ!!?」
そして、徐に腕を持ち上げたかと思うと私の体を抱きしめた。
背中に回る、細くも逞しい腕と至近距離で見るレッドの顔に一瞬にして涙が止まる。
「ただいま」
だけど、耳元で囁かれた言葉に涙が再び溢れてきた。