全部嘘にしておしまい
これは今よりちょっと先の未来────僕とが友達になってしばらく経ってからの話。
4月1日、エイプリルフール。年に一度のどんな嘘を吐いても許される日。
毎日の悪戯と同じくらいこの日が大好きな僕らは、どんな面白可笑しい嘘やリアルな嘘で騙してからかってやろうかと随分と前から楽しみに待っていた。
「僕、アンジェリーナのことが好きなんだ」
それなのにに対して吐いた嘘は、何の面白みのないバレバレな嘘だった。
(……なんでこんな嘘を吐いたんだ!)謎のチョイスに心の中でツッコミを入れたが、口にしてしまった以上取り消すことはできない。僕の嘘にぽかんとした顔の。彼女に少しでも嘘を信じ込ませようと真面目な顔をしてみる。まあ、これも一体どれほど効果があるか分からないけど。
きっともうじき、がニヤついた顔でからかってくるだろう。そう思ったのに、いつまで待ってもが僕をからかうことはなかった。
「?」
訝しんで名前を呼ぶと、はびくっと体を震わせた。それから視線を宙に泳がせて、最後には足下に落とす。
「……そっかぁ」
吐息のような声。ゆっくりと顔を上げたが、へにゃりと微笑む。今にも泣き出しそうな、とても下手くそな笑顔だった。
「頑張ってね、ジョージ。応援するから」
そんな顔なのに激励する声は不自然に明るくて、そのアンバランスさに心臓をぎゅっと掴まれた気がした。痛いような掻き毟りたいそうな。そんな落ち着かない感覚に咄嗟に唇を開く。
だけど、言葉は出てこなかった。
嘘だと言わなくてはいけなかったのに。一言口にしてしまえば一緒に何か言ってはいけないことを吐き出してしまいそうで。
唾とともにごくりと飲み込んだ何かが、お腹の底に重たく落ちていった。
「ジョージ!誕生日おめでとう!!」
目を開けて1秒。騒がしい声とともに視界に飛び込んできた自分と同じ顔に、思わず眉を寄せた。自慢の相棒は、今朝も元気なようで……ん、おめでとう?
フレッドの言葉を理解して、ようやく今日が自分達の生まれた日なのだと気がついた。
「おいおい、まだ寝ぼけてるのか?僕だけ年をとっても良いけど、そうなったら僕のことはお兄様と呼べよ?」
「冗談!おめでとう、フレッド!」
ニィッと笑うフレッドにベッドから跳ね起き、パンッとハイタッチを交わす。
「今年もよろしく頼むぜ、相棒」
「当たり前だろ。今日はイカした嘘を吐きまくろうじゃないか」
嘘。その言葉に高揚し始めた気持ちがぴたりと止まった。『アンジェリーナが好きなんだ。』夢の中で吐いた嘘が耳の奥で響く。それから、下手くそな顔で笑うが鮮明に脳裏に浮かんで頬が引きつった。よりにもよって、なんで誕生日の夢にが出てきたんだ。しかもあんな夢。
「そういや、は僕らの誕生日が今日だって知ってんの?」
「えっ、?!」
フレッドの問いに慌てて口を覆った。やばい、口に出てたか!?しかしそうではなかったようで、フレッドは冷やかしたりすることなく私服に着替え始めた。
「し、知らないと思う。少なくとも僕は話してない」
「ふーん、そうか」
これ以上話したら夢のことをもっと思い出してしまいそうで、寮生や同級生にどんな嘘をつくか、そのことに意識を向けることにした。
「ジョージ。こんにちは」
昼食を食べて談話室に戻ろうとしていたら、廊下でに会ってしまった。しかもタイミングの悪いことに両方とも一人きり。周りにも人の気配はない。そんな場面では無視することもできず、「やあ」と短く挨拶を返す。
そのまま立ち去ってしまいたかったのだけど、「昨日クッキーを焼いたの。良かったら一緒に食べない?」その誘いを断ることができず、いつもの場所に行くことになった。
ベンチの右側に僕、左側に。その間には、が焼いたクッキーと紅茶の入った魔法瓶が二つ。
「いただきます」
「どうぞ」
星形のクッキーを一つ取って口に放り込む。少し固いけれど、噛み砕くとほどよい甘みが口内に広がった。思わずもう一つ欲しくなって次のクッキーに手を伸ばす。今度はこの黒猫のクッキーにしてみよう。
「ねえ、ジョージ」
「なに?」
猫のクッキーはコーヒーが混ぜてあるのか少しほろ苦い。名前を呼ばれての方を向くと、彼女は頬を赤く染めながら顔の前で指の腹を擦り合わせていた。視線が泳ぎまくっている。一体何なんだ、この反応?
なかなか話さない彼女にしびれを切らしかけた時、ようやくが口を開いた。
「実はそのクッキー……惚れ薬が混ぜてあるのっ!!」
「っはあっ?!」
ぎゅっと拳を握っての告白に、目を剥いて大きく体を仰け反らせる。
「ほ、惚れ薬??!!なんだってそんな物を!!」
ベンチから飛び退いてから距離を取る。なんで僕がに惚れ薬を盛られなくちゃいけないんだ!
理由が分からず内心滝のような汗をかく。は変わらず赤い頬で、さらに瞳を潤ませながら僕を見ていた。そんな彼女を見て、心臓がどくんっ!と飛び出しそうな程大きく鼓動した。不整脈を刻み出す心臓に、を視界の外に追いやりたいのに、指令は届かずにから目をそらすことができない。まさかもう薬の効果が!?にハートを飛ばしてべた惚れする自分を想像して、気分が悪くなった。
「……っぷ、ぷはははっ!嘘よ、嘘!」
その時、が大口を開けて笑い始めた。一瞬の後、やられた!と全身が脱力した。まさかこんな古典的な嘘に引っかかるなんて。僕の狼狽ぶりがよほど面白かったのだろう。はお腹を抱えて大笑いしている。
「あははっ!まさかこんな簡単な嘘に引っかかるなんて!」
「っ、笑いすぎじゃないか」
「ご、ごめんなさいっ!……ぷくくっ」
笑いものにされて気分が悪くなるのは当然で、自然と声が低くなった。それを聞いては笑いを止めようとしていたけど、堪えきれずに目尻に浮かんだ涙を拭う始末だ。
……最悪だ。
苦虫を噛み潰したような気持ちを深い溜め息とともに吐き出して、再びベンチにどかりと座り込む。顔を背けたの肩が震えているのが腹立たしくて、残っていたクッキーを乱暴に口の中に押し込んでは禄に味わいもせずに噛み砕いていく。
「あっ、ちょっと!もうちょっと味わってよ!」から抗議の声が上がったけれど無視を決め込む。やけ食いでもしなければやってられない。見かねたがクッキーを取り上げようとしたけれど、それよりも先に最後の一個も食べてしまう。「ジョージったら!!」のむくれた顔を見て、ようやく気持ちが落ち着く。よし、いつもの調子が戻ってきた。
「君のせいだろう。人を笑いものにするなんて失礼だぞ」
「あなたが言わないでよ」
呆れたような目は華麗にスルー。僕らの悪戯に引っかかる方が……いや、これ以上言うのはやめておこう。今はブーメランで返ってきてしまう。
「っていうかルール違反じゃないか。エイプリルフールの嘘は午前中までだろ」
「……しょうがないじゃない。ジョージもフレッドもどこにもいなかったんだもん!おかげで貴重な休みが半分つぶれちゃったわ」
痛いところを突いたみたいでは少し言葉を詰まらせたけど、すぐに言い訳を並べ出した。そしてぷくっと頬を膨らませる。こんな嘘のために半日潰すなんて。呆れたら良いのか喜べば良いのか。
「それにあんなに笑ったのは、ジョージのせいよ」
「なんで」
「だって、こんな簡単な嘘にあなたが引っかかるなんて思わないじゃない。しかもあんなにテンパるなんて」
それは、に嘘を吐く夢を見たから。そんな言い訳をしそうになったけど、どう考えても僕が恥ずかしくなるだけだったから、口を閉じるしかなかった。言い返さない僕に、は不思議そうな視線を送ってくる。
「むしろ、どうして本当だと思ったの?私がジョージに惚れ薬を使うことなんて、あるわけないのに」
ぴしゃっと頬を叩かれた気分だった。なんでの言葉にダメージを受けているんだ?こっちだってに惚れるなんてお断りなのに。自分の気持ちの動きが理解できず、ぐしゃりと髪を掻く。
「……なんだこれ」
意味が分からなくて気分が悪い。だからといって向き合う気にもなれず、ベンチにもたれかかって息を吐き出す。
「ジョージ?」
「ごめん。なんか今日は調子出ない」
「体調が悪いのかしら?早く寮に戻った方が良いわよ」
「あー……うん。もう少し休んだら戻るよ」
心配する声にも素っ気なく返してしまった。は僕の様子を気にしたようだったけど、放っておいたほうが良いと判断したようで静かに魔法瓶を片付けると立ち上がった。
「それじゃあ、私は先に戻るね。ジョージ、お大事に」
そう言って、は城へと戻っていく。離れていく足音を聞きながら、今年のエイプリルフールはなんて面白くない日だったのだろうとぼんやり思った。そして、このまま終わらせてたまるものかという気持ちがぽっとわき上がった。
「っ!」
城内に入ろうとしていたを大声で呼び止める。足を止めて振り返ったに、肺いっぱいに空気を吸い込む。
「僕、今日が誕生日なんだ」
「……ジョージ、嘘は午前中まででしょ?ルール違反って言ったのはあなたじゃない」
の呆れたような声に、ふぅっと軽く息を吐き出す。
やはりは僕らの誕生日を知らなかったみたいだ。半眼で見ているに本当なのだと食い下がる気にはならず、口の端をぐいっと上げた。
「そんなに怒んないでくれよ。ちょっとした仕返しじゃないか」
ニィッと悪戯が成功した時の笑みを貼り付けて、にさっきの告白を嘘だと信じさせた。
そんなつまらない嘘で、今年のエイプリルフールはお終いになったのだった。