Get well early

でも風邪とか引くのね。明日は大雪かしら」
「どういう意味よそれ」
友人のからかいを含んだ言葉に、布団に潜り込みながら唇を尖らせる。
「話したことなかったけど、小さい頃は病弱美少女だったんだからね、私」
が?」
お腹を抱えて笑い出しそうな彼女にヘソを曲げ、背中を向けて布団をかぶる。
しかししばらく待っても謝罪の言葉は一向にかかってこなくて、少しだけ布団から顔を出した。
「ちょっと……お大事にの一言もないのかよ」
思わず声に出してしまった言葉は、誰もいない部屋に虚しく溶けた。



「あー……眠れない」
一人になってから、どれほど経ったのか。
ひとまず寝なければ、と大人しく横になって目を瞑ってはみたものの、一向に眠気はやってこない。
静かすぎる。少しの身じろぎでさえ大きな音になるほど、一人の部屋は静寂に包まれている。
部屋に一人なんて初めてのことではないのに、なんでこんなに気になってしまうのか。
ごろんと何度目かわからない寝返りを打って、ふぅっと息を吐き出す。

(まるで、世界に1人だけになったみたいだ)
柄でもない感傷的な気持ちに、自分らしくもないと苦笑する。
しかし、思いがけない感情は風邪で弱ったメンタルにはかなり効いたようで、しだいに目頭がじわりと熱くなっていく。
子どもじゃあるまいし、こんなことで泣くなんて。誰に見られるわけではないけど無性に恥ずかしくて、慌てて目を擦った。大丈夫、まだ泣いてない。
深呼吸を何度かして気持ちを落ち着かせ、ふと幼い頃のことを思い返す。
広い自室の大きなベッド。あの時だって、私はずっと一人で、今のように静寂の空間だった。
だけど、こんな寂しさなんか感じていなかった――気がする。
(――どうしてだっけ?)
疑問を抱いて記憶を探る。けれどその答えにたどり着く前に、何かに引っ張られるように意識はゆっくりと落ちていった。



目が覚めて、潤む視界に泣いていたことに気づいた。
「結局泣くとか……かっこわる」
自分の紙メンタルに呆れながら、若干ひりつく目元を拭って寝返りを打つ。
「まーた、泣いてるのかよ。何歳だよ、お前」
降ってきたのは馬鹿にした声、かち合ったのは灰色の瞳。
ベッドサイドに座るシリウス・ブラックに、言葉を無くした。
思考停止したのは何秒か、何十秒か。その間、何度瞬きをしても視界の中のシリウスが消えることはなくて。
「なななな、なんでシリウスがいるの!!?――――いったあ!!」
我に返った瞬間、叫びながら跳ね起き全力で後退った。あまりに勢いよく下がったせいで、後頭部を壁に強打した。予想外の痛みに涙目になった私を、シリウスは呆れた目で見ている。

「寝起き早々、騒がしいやつ」
「だっ、誰のせいだと!――ていうか、うちの寮のセキュリティどうなってるのよ!?」
怒鳴り返し、その時になって獅子寮生である彼が蛇寮にいることに気がついた。
合言葉流出!大事件じゃないか!
「お前とつるんでるやつが合言葉を教えてきたんだよ」
入学以来初の事態に慌てて、ひとまず証拠としてこの野郎をとっ捕まえなければという結論に至ったところで、遮るようにシリウスが言葉を挟んできた。
「は?なんで?」
「……俺が知るか」
嘘だ。右下に逸らされた視線に確信する。嘘を吐いた時の癖なんて、とうの昔に把握してるっての。そう簡単に(かなりむかつくけど)幼馴染みを出し抜けると思うなよ。
真実を問い質そうと、熱で多少ぼんやりとする頭を働かせ、
「ほら、手」
ずい、と差し出された大きな掌に瞬きを二つ。
一体これはなんだろう。シリウスの意図が全く分からず掌を凝視していたら、相手は焦れたように手を前に出してきた。
「まだ熱あるんだろ。寝るまで握っててやるよ。――そしたら、寂しくないだろ」
寂しい。その言葉に、そしてそれを口にしたシリウスの、いつもは意地悪くて温度の低い目に、少しばかり温かな光を見つけて、ドキッと心臓が鼓動した。

(――いやいや、なんでシリウス相手に。)
ぶんぶんと頭を振って一瞬のトキメキを打ち消しても、胸の中に宿ったぬくもりはそのままで。
差し出された手に恐る恐る自分の手を重ねたら、不思議なくらい優しく握られた。
(――あ、そうか。)
じんわりと包み込んできた心地よいぬくもりに、やっと思い出した。

風邪をひいた時、いつもシリウスがやって来て、隣にいてくれたこと。
寂しいと泣いた私の手を、いつも握ってくれたこと。

暖かくてこそばゆい記憶が色鮮やかに蘇って、顔が熱を帯びていく。
耳まで熱くなった顔を隠すため、慌てて布団の中に潜り込む。
見られていなければ良いけれど、めざといこいつのこと。きっと気がついただろう。
シリウス相手にこんな態度をしてしまうなんてとにかく悔しいし恥ずかしいのに。
ゆるく繋がった手を自分から離すのは惜しくて。
「――ありがとう」
呟いた言葉は相手に届いたらしく、手を握る力が少しだけ強くなった。



*****
「やっと寝たか」
布団の中から聞こえていた唸り声が消えて、ゆっくりと上下し始めた布団をそっとめくると、幼馴染みの赤い寝顔が出てきた。
この顔をまた見る日が来るなんて。
汗ばんだ額に張り付いた髪を寄せながら、ぼうっとを見つめた。


が倒れた』
そんな一文が書かれた羊皮紙の切れ端が飛んできたのは、魔法史学の授業中だった。
その内容に教室内に視線を巡らせれば、前方の席に座るスリザリンの女子と目が合い、すぐに逸らされた。
『かなり高熱なんだけど』
その直後、羊皮紙にじわりとインクが浮かんできた。
反射的に手に力が入って、紙の端がぐしゃりとひしゃげる。
一体、こんなことを俺に言ってきて、どうしろというのか。
そう思った時、まるでその気持ちを読んだように再び文字が現れた。
『見舞いに行って欲しい。合言葉は――』

「……ジェームズ、透明マント持ってるか?」
綴られた言葉を頭に叩き込み、机の上にあった物を鞄に投げ込んだ。


なんで俺はこんなことをしてしまったのか。幼馴染みとはいえ、ホグワーツに入学してからは寮も違って交流もなくなったというのに。
自分の行動に疑問を抱き、けれど答えはすぐに見つかった。

まだ俺達がずっと小さかったあの日。
小さな体には不釣り合いなほどに大きなベッドの中で、声を押し殺して泣いていた
いつもはどんな相手に対しても強気なくせに、あの部屋ではずっと弱くて脆い存在になっていた。
そんな姿を見て、とにかく放っておけなかった。
かといって子どもの俺にできることなどほとんどなく、唯一できたことといえば手を握って元気づけることだけで。
それでも、は心底安心した顔でありがとうと言ってくれた。
それが気恥ずかしいとともに嬉しいと思った――――のは、もう昔のこと。
のことを考え、いてもたってもいられなくなるなど、そしてこんなに近い距離に寄り添うなど、今の俺達には不似合いだ。

「早く元気になれよ」
そうしたらこんな居心地の悪い距離ともさよならだ。
いつの間にか、ずっと小さくなっていた手を握りしめる。

そしてあの日と同じように――少しかさついた唇にそっと口付けを落とした。