灰かぶり
・は掃除をすることが好きだった。それもマグル式の掃除が。
だからはホグワーツに入学した当初から生徒達が嫌う管理人のアーガス・フィルチに好んで付き纏っては彼の仕事の手伝いをしたし、暇さえあれば掃除用具を手に校内外の掃除をやっていた。
「はシンデレラみたいだね」
そう言ったのはマグル出身の友人で、彼女はをシンデレラに、フィルチを意地悪な継母と姉達に例えた。
しかし当の本人はフィルチを意地悪だとは思わなかったし、掃除を嫌だとも思わなかった(寧ろ、好きでやっているんだとはいつも言った)。
そして、土曜日である今日もは友人の誘いを断って、一人でとある教室の掃除に勤しんでいた。
─────のだが。
一瞬の浮遊感。
あっと思った時には、は顔から廊下にダイブしていた。
同時にばしゃっと音がしたかと思うと、頭から水を被ってしまった。手から離れたバケツが床に当たってカランカランと大きな音を立てる。
「いたた・・・」
廊下にぶつけた鼻を押さえながら上体を起こすと、の髪からは水滴がぽたぽたと滴り落ちた。
「あら、ごめんなさい」
頭上から聞こえてきた言葉と嘲りの笑い声に、は目にかかった髪を横にやると顔を上げる。
そして、目の前に立った数人のスリザリンの女生徒を視界に入れると、すっと目を細めた。
「・・・いいえ、気にしないで。私も思いっきり足蹴っちゃったし・・・貴女こそ足大丈夫?」
そう言ってにっこりと笑えば、女生徒達は嗤いを消して冷たい視線を彼女に向けた。
そして一つの言葉を吐き捨てるとその場を去って行く。
その姿が廊下の向こうに消えたのを見届けて、残されたは溜めていた息を深く吐き出し、
『裏切り者』
耳の奥で響いたスリザリン生が残した言葉に口の中に苦さを感じて、唇を噛む。
は純血家系の出身である。しかもそこそこ有名な家の子どもであった。
そのため、人目を気にすることもなくマグルの掃除をするをスリザリンの生徒達は目の敵にしていた。
掃除をしている時に邪魔をされたことや他の生徒の前で冷やかされたことなど、数え切れないほどである。
最初の頃は落ち込んだり、怒りを持ったりしたが、今はもうまたかと呆れにも似た気持ちを持つだけなのだが。
「・・・・あーあ、床拭かないと・・・てか、その前に服をどうにかしないと」
水を吸った服と水溜まりのできた廊下を見てもう一度息を零そうとした時、
「何やってるんだ」
不意に男の子の声が耳に入り、顔を上げたは自分の網膜に映った人物に目を見開いた。
「・・・・・シリウス・ブラック」
ほとんど聞こえないくらいの大きさで、ホグワーツで一番有名な同級生の名前を紡げば、シリウスは形の良い眉を顰めた。
「何やってんだ」
そして先程と同じ言葉を投げかける。
それに対しては暫く考え、
「転んだだけだよ」
へらりと笑ってそう返した。
しかしシリウスは不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、結んでいた唇を開く。
「灰かぶりは大変だな」
「・・・・え?」
シリウスが言った呼称に、は思わず笑顔を崩して目を丸くした。
シリウスが口にした「灰かぶり」という呼称は、の友人が彼女の行動に対する呆れとからかいを込めて付けたもの。
しかしそれはの近しい友人だけが使うものであり、何故それをシリウスが知っているのか。
が戸惑いを隠せずにいると、シリウスはローブから杖を取り出し一振りした。
するとたちまちにの髪と制服が乾き、次いで廊下の水溜まりもなくなった。
「で、これはフィルチの所に持って行くのか?」
「えっ?」
転がったままだったバケツと雑巾を拾い上げたシリウスの言葉に、は我に返る。
しかしシリウスの行動に頭が付いていかず、口から出るのは疑問符だけ。
「なんだよ、返さなくて良いのか?」
「いや、返さないといけないけど・・・」
「やっぱりか・・・フィルチの部屋、行きたくねぇなあ・・・」
シリウスは片手に持ったバケツを見下ろすと、顔を顰めて嫌そうにぼそりと零す。
そんなシリウスを見てはむっと眉をつり上げる。
「いい人だよ、フィルチ」
そうして強めにそう言えば、シリウスは軽く目を瞠り、くくっと可笑しそうに笑った。
「そんなこと言うの、だけだろ」
そうして、名前を呼ばれたことに目を見開いたの手を引っ張った。
『がシンデレラなら、いつか格好いい王子様が現れるかもね』
灰かぶりの呼称を付けた友人が冗談で言った言葉が、の頭の中で響く。
(いや、まさか。)
少しだけ高い位置にあるシリウスの灰色の瞳を盗み見ながら、は否定の言葉を浮かべた。