後ろ姿
「疲れたってばよぉ……」
顎を伝う汗を手の甲で拭い、大きく呼吸をする。
朝の冷たい空気が肺を満たして、それを何度か繰り返して息を整える。
『明日から徒歩で学校行くってばよ!』
酸素が行き渡った頭の何処かで、そう宣言した自分の声が蘇る。
そして、その決意をさせた少女の姿も。
その日はいつも通り遅刻しそうで、俺は誰もいない道を自転車で全力疾走していた。
そして、彼女に出逢った。
俺の前を桃色の髪を揺らして走る、一人の少女。
『あ、あのさっ!!』
遅刻常習犯の俺はそれまで一度も見たことのないその子に目を奪われ、無意識のうちに呼び止めていた。
彼女は驚いたように振り返り、俺に視点を合わせると眉を寄せた。
『何?』
『え、えと……、な、名前!なんて言うんってばよ!?』
彼女が答えたことにテンパって次に口にしたのはそれ。自分が口走った言葉に焦る俺を前に彼女は一層訝しげな表情になり、
『春野サクラ』
だけど確かにそう言うと、スカートを翻して走って行ってしまった。
その衝撃的な出会いから二週間。
家から一時間かけて通学する俺は、クラスメイトだけでなく担任にすらも今まで通り自転車で通えと言われた。
だけど、俺は徒歩通学を続ける。
なぜなら。
「!」
視線の先の道を通り過ぎた桃色に足を止め、それから慌ててアスファルトを蹴る。
(いつもより早くないかってばよ)
そんなことを悪友達に言ったら、ストーカーとか言ってからかわれるのだろう。(強気で否定できないから絶対言わないけど)
角を曲がって、目標人物の後ろ姿を真っ直ぐに捕らえる。
ぴんと背筋をのばして、肩の少し上で桃色の髪が揺れる。
それを見て高鳴る胸を落ち着かせる意味も込めて一つ深呼吸をして、
「おっはようってばよ、サクラちゃん!!!」
吸い込んだ息を全部声にして、一目惚れした彼女の名前を呼んだ。
またあんたなの?サクラちゃんは嫌そうな顔で俺を見る。
だけど学校まで少しでも長く一緒にいたいから、ずっと徒歩通学しようと思う。